隣を歩きたい
中学1年の時、私は運悪く学年で1番荒れたクラスに入ってしまった。
小学校では緩やかな日常を送れていた私は、中学も同じように平凡に過ごせるものだと思っていた。
そして私は友達作りが致命的に下手だった。人が苦手なのに無理して近づくからリアクションがおかしく、兎に角いつも挙動不審だった。
4人のグループに入ったもののあまり溶け込めず、グループ内でも陰口や仲間はずれがありグループはすぐに消滅した。
そして居場所がなくなった私はさらに挙動不審になった。
いくつかの女子グループから目をつけられ、持ち物を貶されたり通りすがる時に死ねと言われたり気持ち悪いと言われたりした。
そこまで酷いことをされたわけではなかったけど人が苦手だった私は本当の人間不信になった。
それからずっと周りの人間が敵に見えるようになった。いつも私の欠点を探し、隙あらば傷つけようとしてくる人間しかいないうに感じた。
私は顔にも性格にも自信がなかったからいつも下を見て歩いていた。今でも街を歩く時、どこを見て歩けばいいかわからない。視線が怖い。
まれにすごく優しい人間がいた。こんな人も世の中にはいるんだ、それならもう少し生きてみてもいいかもしれないと思うくらい衝撃だった。
優しくされたら私はすぐにその人を好きになった。でもその人たちは輝きすぎていて、自分と同じ人間とは思えなかった。この人たちは価値がある人間だ。
私の仲間ではないと思った。
周りは敵だらけだったから、いつでも相手に勝たなければいけないと思っていた。勝てなくても張り合えるくらいの人間でいなければと思った。服を買うのも髪を巻くのも化粧をするのも全部周りの人に勝つためだった。だからすごく虚しくて勝ったとも思えなくて何もかもおざなりだった。特に化粧はなぜか全然頑張れない。
だけどひとりは寂しいから飲み会とか合コンとか色んな場所に行った。でもどこに行っても人は怖くて話もほとんどできない。当然彼氏もできない。出会い系アプリもやったけど大抵はタイプじゃないしすぐ体の関係を持とうとするようなクズばっかりだった。相手を見下してしまうからそういう人たちとは付き合えなかった。
だけどある日、そういう怖さを感じない人に出会った。まったく怖くない訳では無いけど、人と比べたら大分安心できる人だった。
その人は人を笑わせるのが上手い人で自己開示が上手くて敵ではないと思えた。私も彼を見下すことなく相手も見下さない付き合いができるかもしれないと思った。
友達とか知り合いといるといつも感じる劣等感が、この人といる時だけは感じなかった。
人に劣等感を感じさせない人間って本当にすごいと思う。
私は彼のこの力に惚れてしまったのかもしれない。
仲間のような存在を見つけたかもしれないと思った。
こんなことを言ったら頼りすぎててウザがられてしまうかもしれないから伝えることはないけど。
すごく気になる人。
どこまで仲良くなれるかはまだ分からないけど、もし出来るならば、この人の隣を歩きたいと思った。